海外大好きミニマリストバックパッカー女子

自然大好き宮崎出身アラサー女。3.5年ホテル勤務後、英語力ゼロ以下でカナダ留学。観光/ワーホリ/Co-opビザで、2年強カナダステイ。バックパッカー旅行に魅了され20カ国程旅行済。2020年3月末のアイルランドワーホリ予定を延期中!

突然の退職宣言。

 

こんにちは。

 

Ayakoです。

 

今回は、

私が何故新卒で入ったホテル業を離職したのか。

そこから再就職せずに何故留学しようと思ったのか。

どのようにカナダ留学を決めたのか。

ついて書いて見たいと思います。

 

。。。

 

と思ったのですが、話が長くなり過ぎたので

今回は就職してから辞めるまで、

という回にします。

 

離職後からカナダ留学に至るまではまた次回に書きます。

 

 

目次

大学を卒業し地元のホテルに就職

 

1. 就職活動?宮崎一択!! 

2. 異動多いな、と思いながらも人に恵まれ毎日楽しく勤務

3. ちょっと仕事に違和感を感じることが増えてきた

4. マネージャーへ突然の退職宣言

 

 

 

 

 

   

1. 就職活動?宮崎一択!!

宮崎で生まれ、宮崎で育ち、県外に出るなんて一切考えたことのなかった私。

都会や人の多いところががとにかく苦手で、

旅行県外に行くこと自体もそんなにありませんでした。

 

頭が悪かったので中学卒業後はレベルの低い農業高校へ進学。

進学校に行ける頭はもちろんありませんでした。(笑)

私の叔父が県外で百姓をしていたため、私も将来百姓になる!!!と決め、農業高校へ入学しました。

入学後、虫が嫌いだった事を思い出し、農業への興味がどんどん薄れることに。。。

 

農業高校でも決して頭が良かった訳では無いのですが

暗記が得意だったため3年間常に成績上位をキープ。

何故かそれが評価され、先生に大学進学を勧められます。

地元の大学の農学部です。

(実業系高校の大半の進路は就職なので、もちろん私も就職を検討する予定でした。)

 

人生でセンター試験の練習をした事も、受験をした事もありませんが、推薦にて国立大学に受かってしまいました。

 

大学では森林について学び

本当に今思うと残念で仕方ないのですが、

当時は本当に農業、森林に興味がなく、

お得意の暗記で単位を全て取得。成績もそこそこ良かったです。奇跡ですね。

 

3年生の終わり頃に就職活動を始めます。

 

私は小さい頃から人と話すことが大好きで、

在学中も接客業のアルバイトばかりしていました。

 

就職では

  • 絶対に宮崎から出ない(むしろ宮崎市内限定)
  • 接客業

この2つだけは譲らず、

農業高校、大学農学部、全く関係のない

宮崎のリゾートホテルへ就職しました。(笑)

 

お父さんお母さん、お金を無駄にしてしまって

本当に本当にごめんなさい。

でも今になって農業系に興味が出てきたので良しとしてください。(?)

 

2. 異動多いな、と思いながらも人に恵まれ毎日楽しく勤務

就職先のホテルはリゾートホテルだった為、いろいろな部署があります。

宿泊部門はもちろん、料飲部門、宴会部門、ゴルフ部門、などなど。。。

入社後は一通りの部門の研修を経て、

希望だった宿泊部門 "接遇係"(ベル/ドアマン)に配属されました。やったー♬

 

接遇の仕事はとても楽しかったです!

 

人と話すことや、人の喜ぶ事をするのが好きな私。

天職だと思いながら毎日楽しく出勤していました。

何故接遇が好きだったかというと、

私が思うに、彼らがホテルの顔だからです。

(フロントがホテルの顔と一般的には言われていますが)

 

お客様のご到着時、1番初めにお客様をキャッチできる部署、それがドア係。

ドア係と連携してお客様をフロントへご案内し、

チェックイン後お部屋にお連れする間にお客様と打ち解け、

信頼して頂き、心地よい滞在になるスタートのお手伝いをさせて頂くのがベル係。

(チェックアウトされるまでももちろんお世話致しますが)

 

全てが楽しくて、

一生この部署で働いていたいよ。幸せだよ。

と思いながら1年程過ぎた頃、異動を勧告されます。

 

名誉あるコンシェルジュ部門への異動だったのですが、

接遇を離れるのが嫌過ぎて、号泣しました。

 

異動後も、同僚やお客様に恵まれ、

楽しく仕事させて頂いていたんですが、また1年後。。。

新たな異動の指令がやってきます。

 

新しく開設する、VIPゲストや上級会員様専用の

クラブフロアラウンジのオープニングスタッフに選抜されてしまいました。

 

コンシェルジュでプレッシャーが大きい仕事の中でも楽しく頑張れていた理由は、

フロントやベル係と同じフロアで働けていた為です。

 

クラブフロアラウンジは36階。

上質なサービスを提供する特別な空間のため、

景色の良い上層階に位置しています。

もちろん誰でも配属される部署ではありません。

とても光栄な事です。

 

ですが私はVIPのお客様方よりも

もっと一般のお客様にフレンドリーな接客を提供し、

ホテルのファンになってもらいリピートして頂き、

次回お会いした際に◯◯様おかえりなさいませ、とお迎えする。

そんな仕事を続けたかったのです。

だから接遇が大好きだったのです。

 

また泣きました。号泣です。

今回は悲しみに加え少し怒りも混じっていました。(笑)

ですが、異動は決定のため、どうしようもありません。

 

3. ちょっと仕事に違和感を感じることが増えてきた

大好きだった接遇からは随分遠ざかってしまい、

きっと色々なストレスもあり(忘れました)

何だか自分の理想とする接客が提供出来ていないなあと

もやもやする事が増えていきました。

 

仕事辞めたいなあ、と思う様になり始めます。

自分で言うのもなんですが

私は結構真面目な性格で、

仕事を辞めたくても、実際に辞めるなんて事考えたことも、

まさか行動に移すことも出来るわけもなく、

ここで一生働くと思っていました。

 

 

4. マネージャーへ突然の退職宣言

そんなこんなでいつも通り働いていたのですが

ある日何となく、

あ。仕事辞める。今日辞めるって言おう。

と、ふと思い立ちます。

 

そして思い立った直後

突然マネージャーに

「仕事を辞めたいと思っています」

と話しました。

 

いつ辞めるのかも、何故辞めるのかも、

何も考えていませんでした。

 

問題は辞める理由です。

人にも恵まれ、何不自由なく働かせて頂いていたにも関わらず、突然辞める宣言です。

辞める理由がありません。

 

私はとっさに

「海外に英語を学びに行きたいと思っています」

と言いました。(笑)

 

英語話せる様になりたいな、と思っていたのは嘘ではありません。

 

当時の私は本当に英語が出来ず、

リーディング、ライティング、リスニング、スピーキング

何も、全く出来ませんでした。

持っていた資格は英検4級です。

 

外国のお客様ももちろん宿泊されるホテルだったので

英語の対応は出来るに越したことはなかったのですが。。。

 

例えば、

ある日海外のお客様から

[Is there any discount stores near by?]

(多分こんな感じの質問だった)

と聞かれたときに、

(うわーディスカウントしろって言われてる?

 ったく。無理だよ。でもそれをどうやって伝える!?)

と思いつつ英語が話せる人に助けを求め

ディスカウントストア知らないの?と言われるくらいのレベルでした。。。

 

そんな経験も多数あり、英語が出来ない自分に引目を感じていました。

海外のお客様に対して、日本人のお客様と同様の接客を提供出来ない自分に歯痒さを感じていたのです。

日本人も外国人も関係なく、同一レベルのサービスを提供したい。とは常日頃から思っていました。

 

イギリス好きの同期と、

イギリス留学してみたいねーかっこいいよねー。と、

でもこんなの夢のまた夢だよね、という感じで話した事もありました。

 

そんなこんなで

退職宣言をしたときには1ミリも留学に行くなんて考えていなかったのですが、

咄嗟に思いついた口実がそれだったので、

「高みを目指して卒業するなら、悲しいけど応援します。」

と涙を浮かべるマネージャーに納得して貰い

無事に1ヶ月半後に離職をする事になったのでした。

 

 

 

えらい長くなってしまいました。

ホテル業が好きだったので

長く語ってしまいました。

すみません。(笑)

 

これが、留学前の私の人生という感じです。

 

 

26歳で離職を決めるまでは(頭は悪いけど)真面目ちゃんの典型という感じで生きてきていたので、

仕事を辞めると言ったときには、

家族を含め誰もがびっくりしていました。

実は私が1番びっくりしていましたが。。(笑)

 

仕事を辞めるなんて勇気や決断力、行動力が

自分にあるなんて思ってもいなかったです。

 

人間、意外と自分が思ってもないことが

できるものなんですね。

 

でもまあ、この留学を機に

どんどん自分の生き方、考え方が変わっていく事になるんですが

またそれは追々お話しします。

 

ここまで読んでくださった方、

本当にありがとうございます。

 

それではまた。

 

Ayako